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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1915号 判決

原告 榎本ふみ

被告 松本製菓工場こと松本匡生

主文

被告は原告に対し金二十六万三千七百三十円及びこれに対する昭和二十九年二月二十四日以降完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

(一)  原告の亡夫訴外榎本正夫は、昭和二十七年十一月頃より東京都荒川区町屋一丁目五百八十三番地において松本製菓工場という商号で菓子の製造販売を営む被告松本匡生に使用され、昭和二十八年四月より同年六月までの賃金は一ケ月一万五千円宛支給され製菓の配達等に従事していたものであるところ、昭和二十八年七月十七日、被告の得意先である横浜港南堂外二、三ケ所よりの註文に応じその配達のためビスケツト罐約三十位をオート三輪車に積載、横浜方面に向い京浜国道を運行して東京都大田区東六郷一ノ二七番地々先に差蒐つた際、路傍の電柱と衝突し、右衝突による負傷のため同日死亡した。

(二)  原告は亡榎本正夫の妻であり労働基準法第七十九条による遺族補償を受ける権利を有する。

(三)  よつて原告は亡夫正夫の使用者である被告に対する関係において足立労働基準監督署長に前示遺族補償の実施につき、労働基準法第八十五条の職権による仲裁を求めた結果、昭和二十八年十二月二十三日、同署長は亡榎本正夫の昭和二十八年四、五、六月の賃金を毎月八千円とするを相当とし、事故前三ケ月の賃金総額二万四千円を総日数九十一で除して同法第十二条の平均賃金を算出し、同法第七十九条に基き遺族補償額を二十六万三千七百三十円とする仲裁々定を為したものである。

(四)  正夫は既述の如く一ケ月平均一万五千円の賃金を得ていたのであるが、本訴においては原告は被告に対し、前記一ケ月金一万五千円を基礎として算出請求し得る遺族補償金のうち、右裁定金額と同額の金員並にこれに対する本件支払命令が被告に送達された日の翌日である昭和二十九年二月二十四日以降完済に至るまでの民法に定められた年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

と述べ、

被告の(ハ)の主張に対し、遺族補償は死亡した労働者に過失があつたとしても使用者の遺族補償義務を免責するものではないことは、労働基準法第七十八条と第七十九条とを対比すれば明白なことである、と述べ、

立証として、甲第一乃至第六号証、第七号証の一乃至四、第八、第九号証を提出し、甲第八号証は亡榎本正夫の写真であり、向つて右側の人物が同人であると附陳し、証人岡野俊雄、鈴木守、森とよ子、の各証言並に原告本人訊問の結果を援用し、乙第一、第二号証の成立は認めると、述べた。

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告主張の(一)の事実のうち、被告が原告主張の場所で松本製菓工場という商号で菓子製造販売業を営んでいること並に原告の夫である亡榎本正夫が、昭和二十八年七月十七日原告主張の場所で、自己の運転していたオート三輪車を路傍の電柱に衝突させ右衝突による負傷のため死亡したことは認めるがその余の点は否認する。

原告主張の(二)の事実中、原告が亡正夫の妻であることは認める。

原告主張の(三)の事実中、足立労働基準監督署が原被告を呼出し、本件の遺族補償について斡旋したことがある事実は認めるが、その余は否認する。

(イ)  元来亡榎本正夫は労働基準法上の労働者ではない。同人は被告の兄訴外松本幸四郎方においてそのパチンコ営業を手伝いつゝ食客となつていたところ、右幸四郎は営業を廃止し、被告が同所において菓子製造をすることとなり引移つたところ、右正夫は原告と別居しているため引越先がないとして被告方に引続いて食客として居住していたもので、偶々自己の用事のない時に被告方の仕事を手伝う程度であり被告の事業について使用したものではない。従つて被告は右榎本に対し小使銭を恵与したことはあるが、一定の賃金を支払つたことはない。

(ロ)  仮に亡榎本正夫が被告使用の労働者だとしても、被告方にはその業務のためオート三輪車の運転手二名を雇傭しており、それ以上の運転手を必要としなかつたが、亡榎本は自動車の運転免許をとり勝手に被告方のオート三輪車を乗り廻していたものである。事故当日も、被告は正夫に対し同人の手伝うとの申出に対し、車は出さないから、手伝うなら工場で手伝つて貰い度い旨を答えたにも拘らず、同人は、擅に被告のオート三輪車に乗車し、台東区上野の営業所に立寄つた後、同所より事故現場方面に向つたものであるから、右オート三輪車の運転は業務上のものではなく、従つて本件衝突事故も業務上の災害ではない。

(ハ)  仮に以上(イ)(ロ)の被告の主張がその理由がないとしても、亡榎本は事故現場附近に差しかゝるや居眠りをしながらオート三輪車を運転し、進路に何等の障害、危険等のなかつたにも拘らず、車道より歩道に突入して歩道内の電柱に同三輪車を衝突せしめ自らの過失で死亡するに至つたものであるから被告に遺族補償の義務はない。

と述べ、

立証として、乙第一乃至第四号証を提出し、証人渡辺和郎、篠原恭助の各証言並に被告本人訊問の結果を援用し、甲第一乃至第五号証、甲第九号証の成立は認める、甲第八号証につき原告の附陳した事実は認める。その余の甲号各証の成立は不知、と述べた。

理由

被告が原告主張の場所で松本製菓工場という商号の下に菓子製造販売を営んでいること並に原告の夫亡榎本正夫が昭和二十八年七月十七日その運転していたオート三輪車を原告主張の場所で路傍の電柱に衝突させ、これによる負傷のため死亡したことは被告の認めるところである。そこで亡榎本正夫が労働基準法上の労働者であつたか否かについて考えると、成立に争のない甲第一号証、甲第九号証原告本人訊問の結果により、真正に成立したと認められる甲第七号証の一乃至四証人岡野俊雄、鈴木守、渡辺和郎、森とよ子の各証言並に原告本人訊問の結果を綜合すれば、亡榎本正夫は被告の兄である訴外松本幸四郎より理髪店を借用して営業していたが、その後右幸四郎経営のパチンコ店に雇傭された関係上、被告との面識を得、その後被告が幸四郎のパチンコ店跡において菓子の製造工場を始めるに当り、昭和二十六年暮頃より、被告方の同事業につき使用されるに至り、主として同工場の仕事に従事し、その担当業務は、同工場より被告経営の上野営業所への製品の配達、顧客よりの受註並に商品の配達であり、傍らその他の事務上の仕事をも担当していたものである。同人は昭和二十七年頃より事故少し前に至るまで同工場附属の被告方住居に同居し、又製品の運搬が主な担当業務であつた為め、勤務時間は必ずしも一定していなかつたが、常時同工場の仕事に従事しており、なお事故前原告肩書地に転居して後は、同所より右工場に通勤していたこと、従つて単なる食客として被告の事業の手伝をする程度のものではなく、同事業に関し被告の指揮監督下に稼働していたこと。又亡榎本は被告よりその労働の対価として後述するとおり、一ケ月につき一定の賃金を支払われていた(但しその支払方法は被告の都合により随時支払われていた)ことが認められる。乙第一第二号証は被告本人訊問の結果により真正に成立したことは認められるけれども、右各号証は榎本正夫自身が作成していたというのであるから、同人の月給関係記載欄のみが白地のままであるからとて、上叙認定を左右できる確証とは云えないし証人篠原恭助の証言を以てしても右認定を覆すに足りない。又被告本人訊問の結果中上叙認定に反する部分は、成立に争のない乙第四号証中第七項の陳述記載の内容と共に甲第一号証中被告に対する聴取書、抜卆の記載と対比しても信用できないことは明らかであるし他に右認定を左右できる証拠はない。

上叙認定の事実からすれば亡榎本正夫は被告の事業のため使用されていた労働基準法上の労働者であるといわねばならない。

ところですでに認定した通り亡榎本正夫は被告に使用されて配達等の業務に従事していたものであるが成立に争のない甲第一号証中渡辺和郎に対する聴取書、抜卆並に証人渡辺和郎の証言によれば本件衝突事故当日正夫は取引先である横浜の港南堂より注文の電話があり、又その他二、三ケ所よりの注文に応じ、その配達のためビスケツト約三十罐をオート三輪車に積み、上野の営業所に立寄つた後、事故現場方面に向つたものであることが認められる。してみれば右配達途上において衝突による負傷のための正夫の死亡は労働基準法第七十九条の業務上死亡した場合に該当するものといわなければならない。尤も乙第四号証並に被告本人訊問の結果によれば、正夫の死亡当日オート三輪車による配達は被告の指図によるものではなく被告の知らぬ間にされたものであることは認められるが同日の配達行為が使用者に無断でなされたものであつても、正夫の担当業務の内容上、通常顧客の注文に応じ、商品を被告の営業の為め配達運搬する行為は使用者の具体的な指揮命令の有無に拘らず、業務と解するに支障なく従つて正夫の配達に従事中の事故による死亡は、業務上の死亡と解するのが相当である。

被告は本件正夫の衝突事故は正夫自身の過失によるものであるから被告に遺族補償の義務はないというけれども労働基準法による遺族補償は業務上死亡した労働者の収入に依拠していた遺族の生活を保護するための規定であり、原告主張のとおり、同法第七十八条において休業補償、障害補償に関し、労働者に重大な過失のあつた場合の例外を明文を以て規定しているのに反し、遺族補償についてその規定のないことを対比してみれば、亡榎本の過失の有無は被告の遺族補償の責任について消長を来すものではない。

次に原告が亡榎本正夫の妻であることは被告の認めるところであるから労働基準法施行規則第四十二条により遺族補償を受ける権利があることは明である。そこで補償の金額について考えると、乙第一第二号証により認められる訴外後藤守の賃金が月額八千円を下らない事実と証人森とよ子の証言を綜合すれば榎本正夫は被告方において金額は明確ではないが一ケ月金八千円を少しく上廻る程度の賃金の支給を受けていたことが認められる。

甲第一号証中被告本人に対する聴取書抜卆の記載内容中右認定に反する部分、乙第四号証の記載内容中、右認定に反する部分、証人篠原恭助の証言中右認定に反する部分、並びに原被告に対する各本人訊問中右認定に反する部分は何れも信用が措けない。(原告本人訊問の結果は、正夫の賃金月額が八千円を越えるものであつたとの認定には矛盾しないが、その月額の二倍に近い一万五千円であつたとする点について信用できないのである)。とすれば事故の発生した以前三ケ月間に亡榎本が支払を受けた賃金総額は少くとも金二万四千円を下らないから、労働基準法第十二条第七十九条により同金額を基準としてその総日数九十一で除して算出した平均賃金二百六十三円七十三銭の千日分合計金二十六万三千七百三十円が本件原告の受ける補償金額である。

上来説示したところにより被告は原告に対し、少くとも右金二十六万三千七百三十円及びこれに対する支払命令送達の日の翌日であることが裁判所に明かな昭和二十九年二月二十四日以降完済に至るまで民法に定められた年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものである。

よつて右義務の履行を求める本訴請求は正当であるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおりと判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 福間佐昭 大内淑子)

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